樋口の樋口による誰のためでもないブログ

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神が来る

 ある小さな村に旅をしながら布教をする1人の宣教師が辿り着いた。彼の名はコラント、持ち前の生真面目さと憐れみ深い心で人々に慕われる宣教師である。

 彼はまず村の長老の元へ行き、この村で少しばかり泊めて貰うことを願った。

 長老は快くそれを受け入れた。コラントはとても喜んだ。長老はコラントをたいそうもてなした。命ぜられた女性達は貴重な子牛を屠り、様々な豆をすり潰し、蓄えていた芋やたくさんの野草も持ってきて、豪勢な食卓を作った。

 コラントはそれをありがたく受け入れ、村の人々とその食事を楽しんだ。

 その味は派手さはなく、淡白なものだったが数日間簡易な食事で歩き続けたコラントにとっては格別の美味しさであったし、元来派手な食事を取らない彼にとって舌に合いやすかった。

 

コラントは14のある日突然目が覚めると、「下に行け」という言葉を聞いた。

 彼は階段を降りる。何となく少しずつ、なるだけ静かに階段を降りた。

 彼は母親の女としての声を聞いた。

 彼は恐る恐る静かに木の扉を少し開け、中を覗き見た。

 母が父以外の男と情熱を分け合う姿は14の彼にとって衝撃であったし、酷く母を恨み、父を憐れみ、その男に憤った。

 コラントはそれから家庭内を独自の空間の中で生きていくことを強いられた。

 そんな家庭も彼が15になると分裂した。

 詳しくは知らないが、酷く、醜い争いだった。

 その渦中に置かれてしまったコラントの救いは日曜の礼拝での神との対話であった。

 それは幻聴だったのかも知れない。しかしながらそれが確かにコラントを救い、コラントをこの道へと導いた。

 コラントはしだいに1人でこっそりと教会に入り祈るようになった。その時大きなマリア像と向きあうと、目が合っている気がした。今にも話しかけてくれそうであった。独り占めしているような感覚に陥り酔いしれた。コラントはマリア像の「おいでなさい。コラント、貴方の痛みは私の痛み」という声をここで聞いたのだ。

 コラントの将来はその「幻聴」によって決定された。

 コラントはどちらの親に付くことも無く、世を独自の空間で生きていくことを正式に両親に伝え、決心し、実行に移した。母親は泣いたが、別れる時の問題が1つ減るというメリットもあり直ぐに納得した。両親は疲れていたのだ。

 コラントは神学校の中でも人一倍真面目で勉学に励み、節約や禁欲にも励み、模範的な学生生活を送り、卒業するのはごくひと握りという神学校を卒業し、32歳という若さで滞らずに神父になった。

 コラントは町の教会や様々な経験を経た。

どの教会に務めても町の人々に生真面目さ故に愛され、慕われた。

それが評価され宣教の命を上司に下された。

 コラントはしたいとも思ってはいなかったが、神の精神を広めることが神のためだと思えば迷いはなかった。

 

 コラントは長老のもてなしを受ける間に、ある話を聞いた。「次神がいらっしゃるのはいつだ?」「確か今週じゃないか?」「あぁそうか、なら相談しようかな」この会話を聞いてコラントは非常に興味をそそられ、長老に質問した。「神が来ると聞いたのですが、それはどういうことでしょう?」長老は答えた。「その文字通りさ神が来るのだ、この街には月に一度」

コラントは驚き、これを見なければここに来た意味が無いと思い、尋ねた「長老様、お願いです。わたくしに神がいらっしゃるまでこの村に留めておいて貰えませんか?わたくしも皆さんのおっしゃる神を見たく存じます。」長老は嬉しそうな笑みを浮かべて「いいだろう」とだけ答えた。

 数日すると、「神が来たぞ!!」という声がどこからか響いた。コラントは興奮し、急いで靴を履き外に出た。

 歩く一人の男を群衆が囲んでいた。

 男は群衆を並ばせ、順番に一人一人の家に行き祈る。それを繰り返していた。男の手首の金輪が眩しく光っていた。

 しかしコラントはこの時重大な事実を知ったのだ。

 その神はコラントが以前行った町の村人であったのだ。間違いない。あの金輪はその町で生まれ育ち、成人になり儀式で勝つと貰えるものに間違いなく、その神はその村で生まれ育ったものだと分かる。その村に居る時あの村人はどこからか沢山の食料と金品を持ってきて村人達と分け合っていた。コラントの脳内でその食糧と「神」の存在がつながり、男に対する憐れみや神を冒涜した事への憤りを感じた。

 コラントは村人達の後ろに並び、話をすることを決意した。やがてコラントの番になり、「神」と対話をした。コラントの家はもちろんないので、木陰ですることにした。

コラントは男に対しなるだけ平静を装って尋ねた。「あなたは神なのですか?」男は答える「そうだ、なんでも話を聞いてやる」コラントはまた平静を装い「その金輪の村で生まれ育ってもですか?食料や金品目当てでこの村に来ても?あなたがなさてることは偽善で、神への冒涜で詐欺ではないか?」男は答えた「そうかもしれないな」

 男はその場を去った。

 なんとも言えない孤独感と、儚さと怒りがコラントを包んだ。

 コラントが長老の元へ戻ると、長老は「どうだった?」と尋ねた。コラントは長老の優しい笑みの前で優しい嘘をつけるほど、上手く世を生きる術を持ち合わせていなかった。

 コラントは全て包み隠さず話した。

 長老は笑みを崩さず聞いていた。

 遠くで野鳥が泣いている。

 長老は答えた。

 「君も知っていたか」と

 コラントは驚いた。

 「知っていたのですか?」

 長老は重ねて

 「もちろんだ。彼はポエング村のヤツだ。この村の奴らは全員知っている。」

 コラントは長老や村人にも怒りを覚えた。

 コラントは長老に怒り気味に尋ねた、と言うより責めた。

 「どうして、神への冒涜者に村の民の食料や金品を奪われているのに、皆見ないふりなんですか。僕には分からない。」

 長老は相変わらずの笑みを浮かべ答えた。

 「我々は少しの金品や食料を奪われても何も思わないだけの心のゆとりがある。君の母国のような豊かさはなくとも、心の豊かさがある。そして彼が何をするか知っているか?彼は我々の悩みを親身になって聞き、誰にもそれを言わず、解決を願う。それだけと心にゆとりのない君は思うかもしれないな。しかしながらそれが確かに我々の救いになっているのは確かだ。誰にでもできるが、本当に本人のようにまで願えるほど心にゆとりのある者はいるようで意外と少ない。そんな行為こそ愛を感じるものだ。そして村の民は強要されて食料を分けていない。自らしている。それだけの心のゆとりを感じられるだけでそれは確かに幸せで豊かだ。でも君にはわからないかもな。」

 コラントは自分の思っていたことに呆れるほどの情けなさを覚えた。

 長老は笑みを崩さず重ねる。

 「もし神がいるのなら、彼の行為は神への冒涜かも知れない。しかし、我々は神より彼から愛を教わった。偽善だとしても、善であることに変わりはない。」

 コラントの時が止まった。

 コラントが神学生の時から悩んでいたモヤモヤが溶けて行った。

 コラントは悩み続けていた。自分の節約や民への奉仕をすることはそんなことしてる自分は偉いと思うからしてるのではないか、自己満足ではないかと。自分のしていることは偽善ではないかと。彼は悩み続けていた。偽善でもしないよりマシだと思っても、そんなことを考えて誤魔化してるお前はその程度かと、もう1人の自分がコラントを苦しめた。

  コラントは涙した。

 長老は笑みを浮かべ涙するコラントを見つめていた。

 老婦が空のコップにコーヒーを注いだ。

 コーヒーの匂いが立ちこめた。

 遠くで野鳥が泣いていた。

 そこは確かに平和で豊かであった。

 

 それからしばらくして、地中海性気候のカラッとした街の小さな家に行列ができていた。

 家には「神の家」と書かれていた。

 朝9時になり、扉が開いた。

 家前の通りを通る中年の男性が嘲笑うように

 「神がいらしたぞ!」

  と笑いながら言って通り過ぎていく。

 「神の家」から1歩右足から踏み出したコラントは「やぁ!おはよう。さぁ始めようか」と言った。

「神の家」でコラントは真の愛と素晴らしき偽善を知り、誇りを覚え、死ぬまでこの活動を続けた。

 終始コラントはとても晴れやかだった。